【情熱の温かい心の監督でした!】
おはよう御座います。
つけ麺 天下 ★ オーナー 篠田仁志です。
本日、11/10(火)は定休日です。
今週は、明日から営業ですが、
明日から、
あるものをプレゼントします^ - ^
また、明日の朝発表しますね!
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私は、小さい頃から野球好きで、
岐阜〜名古屋まで、
親なしで、電車で行き、
朝一で、
名古屋球場に並んで、
外野自由応援席の場所を
とりに行っていました!
とても懐かしいです。
今日は、今は亡き星野監督が、
多くの選手から慕われる、
その理由がわかる話を
聞いて感動したので紹介します。
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星野監督は小学校時代、
岡山県倉敷市で過ごしていました。
同級生に、「ジストロフィ」
という重い障害を持った、
定金正憲君
という友達がいました。
彼は学校に行くのをいつも嫌がって
お母さんを困らせていましたが、
星野監督と同じクラスになってからは
毎日、喜んで学校に行くようになりました!
星野監督が定金君を
毎日背負って登校してくれたからです。
定金君は、放課後も楽しそうに
星野監督が野球をしている姿を
眺めていました。
星野監督がどんなに
練習が厳しくて疲れていても、
練習が終わると、
定金君を背負って
彼の家に送って行きました。
雨の日には、
定金君が濡れないように、
リヤカーに乗せて連れて行ったそうです。
定金君との交流は、
小学校卒業しても…、
大人になっても…
続きましたが、
残念ながら、定金君は、
41歳で亡くなってしまいます。
亡くなる少し前にも定金君は、
「頑張ってください。優勝してください。いつも僕は見ています。」
と星野監督に話していました。
そして、星野監督が優勝したのは、
定金君が亡くなった
2週間後でしたが、
定金君のお母さんは、
「息子が42歳まで生きてこれたのは、
星野さんのおかげです。
息子は、星野さんの活躍を見て、
夢と希望をもらっていたんです。
息子にとって星野さんは
同級生で神様だったんです。
息子は幸せだったと思います。
感謝しています」
と話しています。
「大切な人に贈りたい24の物語」より
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星野監督は、
情熱の男
厳しい男
反骨の男
と言われていますが、
反面この様な
優しい心を持ち合わせている
優しい人です。
その心が、
見えない魅力に感じます!
星野監督は幼い時に
父を亡くし、
少年時代は、
裕福ではありませんでした。
お母さんが苦労して
買ってくれたグローブ!
これで、グローブを人から借りないで
野球ができると喜んだそうです。
貧しい少年時代、
友達のために尽くすことができたのは
元気に野球ができるという、
「幸せ」に気づいたからだと思います。
Your happy!My happy!